星見る囚人

楽しい世界にむけ脱獄進行中

虎になってしまいたい夜

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※今回は超絶弱気な愚痴記事です

気分のまま書くので、有益な情報なんて全くありません

それでも読んでくださるあなたに、せめて次回からは何かが返せるように、今は思いっきり心をさらけ出しておきます

凛として時雨の「unravel」をBGMに書いてます

 

unravel

unravel

  • provided courtesy of iTunes

 

 山月記との邂逅

なんの因果か、私は昔から「山月記」との縁が深い。

山月記

山月記

 

 1番最初は高校3年生の夏だった。

現代文の授業で初めて山月記を読んだ。本格的な受験勉強を始めたばかりだった私は、大学受験と言うものはかなり甘く見ていた。

この頃の合格判定は、C判定。この時期でこれぐらいなら普通でしょ。まだ部活してるやつだっている。あいつらよりは、私のほうが賢いに決まってる。進学塾には行ってないけど、本気出したら、なんかうまく気するし。そんな根拠のない自信というか、全能感のような感覚に酔いしれていた。

そんな私を総毛立たせたのが、山月記だった。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」。この言葉を見たときドキリとした。残暑の残る教室で、震えていたのを覚えている。その文章から、私を見張るような視線を感じた。ただならぬ気配が、本から溢れているようだった。

その授業以来、山月記を手に取ることはなくなった。なんとなく、その視線というか気配を恐れていた。

 

 2度目は大学生の時。

小さい頃から本が好きで小説家になりたかった私は、その夢をあきらめきれず文学部に進んだ。親にも反対されたけれど、どこかまだ自分が特別だと思い込んでいるところがあった。私は普通の人と違う。そう信じ込もうとしていた。

その割に、賞への応募などは進んでしようとしなかった。1度応募したものの、箸にも棒にもかからず、そのうち学費を払うためのバイトに追われて小説を書くことすら出来なくなった。

しかし、心のどこかで私は「書けないのは仕方ない」状況になったことに安堵していた。賞に通らないのは、書けないのは私のせいじゃあない。仕方がないんだと。だから、出版社に持ち込むなんて挑戦もしなかった。今思えば、なんとも情けない話だ。

そんな私が、流されるままに教員課程を履修し、教育実習に行ったときのこと。指導単元として告げられたのが、山月記であった。何と言う時運の巡り合わせ。よもやこの私が、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を抱えているこな私が、子どもたちに山月記の解説をするなど、自らの恥部をフルカラーで図解してみせるようなものだった。輝く将来を信じて疑わぬ彼らに、自分の情けなさを開いてみせる授業を、ほとんど泣きそうになりながらやりきった。

彼らの視線が、ひたひたと後ろから距離を保ちながらついてくる夢を見ては、夜毎うなされてた。結局、教員免許を取得しないまま大学を卒業した。

 

もう逃げられない

そして、3度目。それがまさに今日のことだった。

ブログを始めて「書くこと」を再開したものの、先輩ブロガーの方々のブログを読んではその記事の面白さに嫉妬し、自分のブログに立ち返るたび羞恥を覚えている。どうして同じテーマについて書いているのに、あの人のは面白くて私のはダメなのだろう。なぜもっとうまく書けないのだろう。

Twitterのつぶやきにさえ嫉妬し、羞恥する。他の人のつぶやきをみて、私も特別だと思われたいと願う自尊心が頭を擡げる。羞恥心とも相まって、積極的に教えを請うことすら出来ない自分が、ネット上に転がっていた。

私にはもっと秀でた何かがあるはず。なのに、どうしてうまくいかないの。もしかして私には、人より秀でたことなんて…。

そんな不安から目を逸らしたくて、本でも読んで忘れようとした。充電しなきゃブログだって書けないし、これはインプットよ。もっともらしいことを理由にした、それは誰に対してかもわからない言い訳だった。

しかし、私を見張る例の視線は何もかもお見通しだったようだ。カバーをかけてあるいくつかの小説たちのなかから、私が手にしたのはまたしても山月記だったのだ。本当に、それを選ぶつもりなどなく、完全に無作為だったにも関わらず、だ。

私は怖くなった。

人生の節目を迎えるたび、私の前に山月記が現れる。私の心のだめな部分を、まざまざと目の前に差し出してくる。挑戦することから逃げまわってきた私を、見透かすように。咎めるように。

 これまでの私なら、手に取ったのが山月記だとわかった段階で、本を元に戻していた。だけど、もう逃げられない。そんな感覚がして、深夜に泣きながら山月記を読みきった。

 

虎とひとの間で

李徴は、まぎれもなく私自身の姿だった。自尊心と羞恥心で挑み続けることから逃げ回ってきた私と、まるきり同じ姿をしていた。

あの痛いほどの独白を読むのが、ずっと怖かったのだ。逃げ回った果ての姿がこれだ、いずれ辿り着くお前の姿だと、そう正面から言われているようで、怖かった。私自身が自分のなかに虎の気配を感じているから。

他人の成功を羨み、嫉妬する。でもそれに対抗しうる力が自分にないことが、わかっている。地道に、自分が出来ることをやっていくしかない。続けていくしかない。それも、わかっている。

それなのに、この狂おしい気持ちをどうしようも出来ないのだ。本当に、今すぐ何もかもかなぐり捨てて夜の街に走り出して、誰もいないところまで走って叫んで逃げてしまいたい衝動に駆られる。この気持ちをごまかせない。

虎になってしまいたい私と、ひとの世で生きていたい私。感情の大渦のなか、虎の哮りが響き、ひとの肌触りにまだ私はひとだと言い張っている。

 

虎とひとの私は、これからずっと迷い続けるんだろう。ほんの一歩足を踏み出せば、どちらにもなれてしまうところで。